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獣医麻酔の術前評価ASA分類とリスク評価の基本を解説

公開 最終更新

術前検査は出しました。でも、その結果を麻酔の組み立てにどう使えばいいのか。この記事はそこを埋めるためのものです。対象は、術前評価を「検査を出すこと」から「麻酔計画を決めること」へ変えたい先生方です。読み終えるころには、ASA分類を申し送りに使えるようになり、どの症例にどの検査を足すかを、仮説から選べるようになります。

術前評価とは何か ― 「とりあえず血液検査」の先へ

術前評価の本質は、検査データを集めることではありません。「この患者にいちばん合う麻酔の組み立ては何か」を設計することです。麻酔の前に全身の状態をつかみ、リスクを言葉にし、それを麻酔計画に落とし込む――この一連の流れが術前評価です。

「術前に血液検査をしておけば安心」という感覚は根強くあります。けれど血液検査は材料のひとつにすぎません。それだけでは麻酔リスクの全体像はつかめません。

目的は3つあります

  • リスクを見つける ― 麻酔と手術に響きそうな持病や状態を洗い出します
  • リスクを言葉にする ― ASA分類などの枠組みに当てはめ、チームの共通言語にします
  • 麻酔計画に反映する ― 薬の選び方、モニタリングの厚み、術後の管理を前もって決めます

出発点は問診と身体検査

この3つの出発点は、高価な検査ではありません。飼い主さんからの聞き取りと、身体検査です。

聞き取りで必ず確認したいのは次の4つです。

  • 既往歴 ― 過去に麻酔を受けたことがあるか。覚醒が遅かった、吐いたなどはなかったか
  • いま飲んでいる薬 ― NSAIDs、ステロイド、心臓の薬、抗てんかん薬など
  • 最後にごはんを食べた時間 ― 絶食の確認。健常な成犬・成猫では4〜6時間が目安で、水は前投薬の直前まで飲ませて構いません。逆流や吐出の既往がある症例では6〜12時間に延ばします。8週齢未満の子犬・子猫は低血糖を避けるため、1〜2時間を超えて絶食させません
  • どのくらい動けるか ― 散歩の距離、息切れの有無。心肺機能の簡単な物差しになります

身体検査では、心音と呼吸音の聴診、粘膜の色と CRT(毛細血管再充満時間)、体格と栄養状態を見ます。どれも機器なしでできる基本の評価です。どの麻酔症例でも省いてはいけません。


ASA 身体状態分類 ― リスクを共通言語にする

問診と身体検査で得た印象を、チームで共有できる形に翻訳するのが ASA分類です。ASA(American Society of Anesthesiologists)身体状態分類は人医療で作られたリスク評価のものさしで、獣医麻酔でも広く使われています。

分類 状態
ASA I 健康な動物。基礎疾患なし 去勢・避妊手術
ASA II 軽度の全身性疾患 軽度肥満、限定的な皮膚疾患
ASA III 重度の全身性疾患 代償性心疾患(MMVD なら ACVIM ステージ B2〜C)、中等度貧血、制御された糖尿病
ASA IV 生命を脅かす重度の全身性疾患 非代償性心不全、重度ショック、DIC
ASA V 手術なしでは24時間以内の死亡が予想される 胃捻転(ショックの程度により IV〜V)、大量出血
E(Emergency) 上記のいずれかに、緊急手術であることを付記する ASA III-E

使い方と限界

ASA分類は主観的な評価ツールです。評価する人によってばらつきが出ます。それでも広く使われ続けているのは、チームの中で「リスクの見立てを揃える」価値が、そのばらつきを上回るからです。

  • 麻酔担当者が交代するときの、申し送りの共通言語として使います
  • 飼い主さんへの説明で、リスクの水準を伝えるときに使います
  • 麻酔記録の書き方を揃え、施設の中で振り返るときの基準にします

ASA分類は手術の侵襲度を映しません。 ASA I の健康な犬でも、長時間の手術や大量出血が見込まれる手術では、その要素を麻酔計画に別に組み込む必要があります。ASA分類が表しているのは「患者側のリスク」だけです。


術前検査の選び方

リスクの見当がついたら、次はそれを裏づける検査を選びます。ここでの要点は「全部やる」ではなく「必要なものを選ぶ」ことです。

まず押さえる基本の検査

  • CBC(完全血球計算) ― 貧血、感染、血小板減少の確認
  • 血液化学検査 ― 肝機能(ALT, ALP)、腎機能(BUN, Cre)、血糖値、電解質
  • 身体検査 ― 聴診、粘膜色、CRT、体重

ASA I〜II の若くて健康な動物なら、この基本セットで足りることが多いです。ただし健常例でルーチンの血液検査が合併症を減らすというエビデンスはありません(NICE も AAGBI も非推奨です)。逆に ASA III 以上では、術前の血液検査が死亡リスクの低下と関連したという報告があります(CEPSAF)。

ASA III 以上・高齢動物で足すかどうか考える検査

  • 胸部X線 ― 心拡大や肺野の異常を見ます。心雑音・咳・運動不耐性・失神といった所見や病歴があるとき、腫瘍のステージングが要るときに選びます。年齢だけを理由にしたルーチン撮影を支持するエビデンスはありません
  • 心エコー検査 ― 心雑音のある症例、猫の肥大型心筋症(HCM)のスクリーニング
  • 凝固検査 ― PT/APTT。大量出血が見込まれる手術、肝疾患、DIC を疑うとき
  • 尿検査 ― 腎機能をより正確に見ます。BUN/Cre が正常域でも、濃縮能が落ちていることがあります
  • 血液ガス分析 ― 重症例、酸塩基平衡の異常を疑うとき

検査を増やせば安全になる、とは限りません

すべての症例にフルパネルを回しても、患者の安全性が必ず上がるわけではありません。「この患者で何が起こりうるか」という仮説を立て、それを検証する検査を選びます。検査は網ではなく、狙って撃つものです。


情報を麻酔計画に変える

集めた情報は、麻酔計画という具体的な行動に変えて初めて意味を持ちます。次の4つを前もって決めておきます。

  • 前投薬 ― 鎮静薬・鎮痛薬・抗コリン薬の組み合わせ
  • 導入法 ― IV 導入か、マスク/ボックス導入か
  • 維持法吸入麻酔薬の選択と、併用する薬(CRI など)の計画
  • モニタリング ― どの項目を優先するか、モニターをどこに置くか

クラス別に具体化してみます

ASA I ― 健康な犬の去勢手術

基本的な前投薬と標準的なプロトコルで対応します。モニタリングは SpO2、ETCO2、心電図、体温、そして血圧(NIBP)を基本にします。麻酔・鎮静でいちばん多い循環の副作用は低血圧なので、健康な症例でも血圧は外しません。

ASA III ― 代償されている僧帽弁閉鎖不全症の犬(ACVIM ステージ B2〜C)

心拍出量を保つ薬の選び方が鍵になります。僧帽弁逆流では「やや速めの心拍数・低めの血圧・洞調律の維持」が血行動態の目標です。徐脈は逆流量を増やすので、徐脈に傾ける薬は慎重に選びます。

ケタミンは心拍数と心収縮力を保てる薬ですが、末梢血管抵抗(後負荷)を上げて逆流を増やすおそれがあるため、大量投与は避けて少量から使います。進行した症例では交感神経の予備能が乏しく、ケタミン本来の陰性変力作用が表に出ることもあります。

動脈圧ライン(観血血圧)による連続モニタリングを勧めます。輸液は控えめに(等張晶質液で 2〜3 mL/kg/h が目安)。ただし脱水させないことも同じく大事です。過剰な輸液は肺水腫を、脱水は前方拍出の低下を招きます。

ASA IV〜V ― 緊急症例

術前の安定化(輸液、電解質の補正、酸素化)をできる限り行ってから麻酔導入に移ります。ただし胃捻転(GDV)のように「安定化を待つことがかえってリスクになる」症例では、迅速導入と術中管理で対応します。


まとめ

  • 術前評価は「検査を出すこと」ではなく、リスクを見つけ、言葉にし、計画に反映する一連の流れです
  • 出発点は問診と身体検査です。機器がなくてもできて、どの症例でも省けません
  • ASA分類はチームの共通言語です。主観的だという限界を承知のうえで使います
  • ASA分類が表すのは患者側のリスクだけです。手術の侵襲度は別に見積もります
  • 基本検査は CBC・血液化学・身体検査。ASA I〜II の若い動物ならここで足りることが多いです
  • 追加検査は「この患者で何が起こりうるか」の仮説から選びます。網ではなく狙って撃ちます
  • 集めた情報は、前投薬・導入・維持・モニタリングの4つに落として初めて意味を持ちます

術前評価を丁寧にやることは、麻酔の安全性を高めるうえで、費用対効果の高い投資のひとつです。


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