腹部神経ブロックの選び方:TAP・QL・ESP・レクタスシース・硬膜外の比較
腹部手術の鎮痛は、体壁の体性痛と腹腔内臓器の内臓痛という性質の異なる2系統への対応が要る。単一のブロックで両方をカバーするのは難しいため、術式・手術部位・期待する効果に応じて使い分ける。本記事では犬猫の腹部神経ブロック(TAP、QL、ESP、レクタスシース、硬膜外)を、神経支配の解剖学的基礎から各手技の適応・制限まで整理する。
1. 腹壁の神経支配:T10〜L3の分布
腹壁を支配する感覚神経は、以下の脊髄分節から分枝する。
| 脊髄レベル | 支配領域 |
|---|---|
| T10〜T12 | 上腹部(肋骨弓周辺、剣状突起〜肋骨下縁) |
| T13〜L1 | 中腹部(臍周辺) |
| L2〜L3 | 下腹部(鼠径部〜恥骨) |
ブロックは術式から逆算して選ぶ。この分布図がその出発点になる。
2. 神経の「3つの経路」と対応ブロック
脊髄から出た神経は腹壁・腹腔に向かって3方向に分岐する。それぞれに対応するブロックがある。
| 経路 | 解剖学的走行 | 対応ブロック | カバー範囲 |
|---|---|---|---|
| 腰方形筋-腸腰筋筋膜面(腹側枝+交感神経幹への拡散) | 椎体外側を尾側方向に走行 | QLブロック | 内臓痛+体壁痛(交感神経幹への到達は筋膜面への二次拡散であり、到達率は報告によって異なる) |
| 背側枝 | 脊柱起立筋下の筋膜面を後方へ | ESPブロック | 背側皮神経 |
| 腹側枝 | 肋間を通り腹壁筋層間を腹側へ | TAPブロック/レクタスシース | 腹壁体性痛 |
この3経路マップがブロック選択の判断軸になる。
3. 硬膜外麻酔の獣医における適応制限
獣医では硬膜外麻酔の適応を下腹部に限定する。人医療で確立された胸椎レベルからのカテーテル留置による上腹部・下腹部鎮痛は、以下の理由で獣医には持ち込めない。
3.1 解剖学的要因
- 四足歩行動物では脊髄分節が後方まで及び、人と腰椎相対位置が異なる
- L7-S1から薬を入れて頭側へ広がる距離・速度が予測しづらい
3.2 管理上の課題
- 硬膜外カテーテルの長期留置は感染・汚染リスクが高い
- 術後ICU管理体制が限定的な施設では現実的でない
3.3 上腹部適応の問題点
L7-S1から注入した局所麻酔薬の頭側拡散は薬液量・濃度・体格に依存し、再現性が低い。極端な場合は頚部レベルまで到達し、横隔膜麻痺を引き起こすリスクがある。
臨床判断のポイント: 硬膜外麻酔は下腹部手術(膀胱切開、会陰部手術等)に限定して使用する。上腹部・中腹部の手術では他の領域麻酔を第一選択とする。
4. TAPブロック(腹横筋膜面ブロック)
4.1 解剖学的根拠
腹壁の腹側枝は、腹横筋(transversus abdominis)と内腹斜筋(internal oblique)の間の筋膜面(neurofascial plane)を走行する。この筋膜面に局所麻酔薬を浸潤させれば、複数の体壁神経枝を一度にブロックできる(プレーンブロック)。
4.2 手技と用量
- アプローチ: サブコスタル(肋骨下)+ラテラル(側腹部)の2点が推奨される
- 用量目安: 1か所では0.5 mL/kg、2か所では0.3 mL/kgずつ
- 薬剤: ブピバカイン 0.25%(推奨濃度)またはロピバカイン 0.5%
総量管理(TAP/QL は大容量ブロック):ブピバカインは 0.25% を基本とし、0.5% を使う場合は容量を抑える(例:0.25% × 0.5 mL/kg = 1.25 mg/kg)。両側施行では左右の合計量で最大用量内に収め、希釈して容量を確保する。
4.3 適応とカバー範囲
サブコスタルとラテラルを組み合わせると、概ねT10〜L3をカバーする。
適応:
- 開腹手術(OHE、膀胱切開、胃切開、腸切除)
- 腹壁腫瘍切除
- 乳腺腫瘍切除
4.4 実践テクニック
単一の注入点だけでは、薬液の広がりは同心円状に限られる。針を筋膜面に沿って前進させながら複数か所に少量ずつ分割注入すると、前後方向への広がりが改善する。
4.5 制限
- 注入部位より頭側にはほとんど広がらない
- 内臓痛はカバーできない(腹側枝のブロックに限定)
- 上腹部の大切開(肝臓手術、メルセデス切開)では肋間神経ブロックまたは傍椎体ブロックの併用が望ましい
5. QLブロック(腰方形筋ブロック)
5.1 解剖学的根拠
腰方形筋(quadratus lumborum)と腸腰筋(psoas major)の間の筋膜面に薬液を浸潤させる。この部位は神経が分岐するより近位にあり、薬液が筋膜面に広がりやすい。
5.2 最大の特徴:内臓痛カバーの可能性
QLブロックの薬液は交感神経幹の走行領域にも到達する可能性がある。そのため体壁の体性痛に加えて内臓痛もブロックできる可能性があり、カダバ研究では sympathetic trunk および splanchnic 神経への薬液拡散が確認されている(dos-Santos ら 2021, VAA 48:804-808)。ただし in vivo での内臓鎮痛効果は臨床エビデンスの蓄積が進んでいる段階で、確実性の判断には今後の研究の積み重ねが必要である。腹腔内臓器の牽引・操作に伴う痛みへの効果も期待される。
5.3 手技概要
- 動物を側臥位にする
- 背側からエコープローブを当てる
- 椎体外側、腰方形筋と腸腰筋の境界面を同定
- 筋膜面に針を進め、局麻を浸潤
5.4 適応
- 上腹部〜中腹部の腹腔内手術(肝臓手術、脾臓手術、胃腸手術)
- 内臓痛のカバーが必要な症例
- 開腹術後の持続鎮痛(継続鎮痛を目的としたカテーテル留置については症例単位での報告がある)
注:猫ブピバカインは犬の半量(最大 1 mg/kg)に準拠。猫はLAST感受性が犬の約2倍高く犬用量を流用しない。心毒性に留意し、両側・複数部位では合計量で管理する。
5.5 制限
T10〜T11の最上位レベルには届きにくいケースがある。剣状突起付近を含む大切開では、肋間神経ブロックの併用を検討する。
6. ESPブロック(脊柱起立筋面ブロック)
6.1 解剖学的根拠
脊柱起立筋(erector spinae muscle)下の筋膜面に局所麻酔薬を浸潤させる。主目的は背側枝のブロックだが、薬液量が十分なら傍椎体腔へ広がる可能性がある。
6.2 主な適応
- ヘミラミネクトミー
- 椎間板ヘルニア手術
- 背側脊椎手術
6.3 開腹術への応用
ヒト医療では、薬液量を十分に投与すると腹側にも効果が及ぶ報告がある。獣医領域でも開腹術への応用が報告され始めているが、2025年時点では限定的で、今後のエビデンス蓄積が課題である。
7. レクタスシースブロック(腹直筋鞘ブロック)
7.1 解剖学的根拠
腹直筋鞘内には腹壁神経終末が走行する。この鞘内に局所麻酔薬を浸潤させると、白線部分の感覚を遮断できる。
7.2 適応
- 腹部正中切開のみ
- 中・小型犬猫のOHE、膀胱切開等で正中切開のみが切開部となる場合
7.3 制限
側腹部の感覚はカバーできない。広い切開範囲を伴う開腹術にはTAPやQLの方が適している。
8. 術式別ブロック選択マップ
| 術式 | 推奨ブロック組み合わせ |
|---|---|
| OHE(中型犬・正中切開) | TAP(2点)or レクタスシース |
| 卵巣摘出(小型犬猫) | TAP単独 or レクタスシース |
| 膀胱切開 | 硬膜外(下腹部向き)or TAP |
| 胃切開 | TAP + 肋間神経ブロック(上腹部追加) |
| 脾臓摘出 | QLブロック(内臓痛カバー) |
| 肝臓部分切除 | QL + 肋間神経ブロック |
| 腸切除・吻合 | QL or TAP(広範カバー) |
| 腹腔内腫瘍摘出 | QL(内臓痛優位) |
| 体表腫瘍切除(腹壁) | TAP(局所適応) |
| ヘミラミネクトミー | ESP |
9. 局所麻酔薬の用量管理
複数部位ブロックでは局所麻酔薬の総量管理が要る。
| 薬剤 | 犬 最大用量 | 猫 最大用量 |
|---|---|---|
| リドカイン | 4〜6 mg/kg(エピネフリン添加時 最大8)※皮下浸潤上限(10 mg/kg)は多部位ブロックには適用しない | 2〜4 mg/kg(複数部位ブロックでは総量で管理する) |
| ブピバカイン | 2 mg/kg | 1 mg/kg(犬の半量。猫はLAST感受性が犬の約2倍高く犬用量を流用しない) |
| ロピバカイン | 3 mg/kg | 1〜2 mg/kg |
注意: 上記は一般的目安。最新ガイドライン・施設プロトコルとの整合を確認すること。複数部位ブロックでは希釈・分割投与でボリュームを確保する。猫へのリドカインは全身毒性リスクに注意し、複数部位ブロックでは原則ロピバカインまたはブピバカインを優先する。
10. まとめ
- 腹壁神経支配(T10〜L3)と神経の3経路(内臓側・背側・腹側)を地図として持つことが、ブロック選択の出発点となる
- 硬膜外麻酔は下腹部に適応を限定し、上腹部の鎮痛は他の領域麻酔で対応する
- TAPブロックは腹壁体性痛のカバー、QLブロックは内臓痛を含めたカバーの可能性があるが、内臓鎮痛効果のin vivoエビデンスは蓄積中である
- ESPブロックは背側手術の第一選択、レクタスシースブロックは正中切開専用
- 局所麻酔薬の総量管理を意識し、複数部位ブロックでは希釈・分割で対応する
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