開胸手術の麻酔管理|換気戦略とSpO2管理の実践ガイド
開胸手術における麻酔管理の特殊性
開胸手術は、獣医麻酔の中で最も高度な呼吸管理を要求する手技である。理由は、胸腔を開放した瞬間に一連の病態生理学的変化が連鎖して起こるからだ。
通常、胸腔内は陰圧(約 -5cmH2O)に保たれ、この陰圧が肺の拡張を維持している。開胸で陰圧が解除されると、術側肺は弾性収縮力により虚脱する。虚脱した肺は血流を維持したまま換気だけが失われるため、VQ(換気血流比)ミスマッチ が発生し、シャント血流の増加を通じて低酸素血症を引き起こす。
病態の流れは以下のとおりである。
| 段階 | 変化 | 結果 |
|---|---|---|
| 1. 開胸 | 胸腔内陰圧の解除 | 術側肺の虚脱 |
| 2. 肺虚脱 | 換気されない肺胞への血流持続 | VQミスマッチ増大 |
| 3. シャント増加 | 酸素化されない血液が体循環へ流入 | PaO2低下・SpO2低下 |
開胸手術の麻酔管理の根幹は、この病態を理解したうえで換気パラメータの変化を正しく解釈し、適切に介入することにある。
従圧式換気(PCV)における開胸時のパラメータ変化
開胸手術では従圧式換気(Pressure Control Ventilation: PCV)が広く用いられる。PCVは設定した吸気圧を一定に保つため、肺のコンプライアンス変化がそのまま一回換気量に反映される。
開胸時には以下のパラメータ変化が生じる。
| パラメータ | 開胸前 | 開胸後 | 変化の機序 |
|---|---|---|---|
| コンプライアンス | 正常 | 上昇 | 胸壁による圧迫が解除されるため |
| 一回換気量(TV) | 設定相当 | 増加 | 同一吸気圧でより多くのガスが健側肺に流入 |
| ETCO2 | 正常 | 低下(見かけ上) | 死腔換気の増大 |
| PaCO2 | 正常 | 上昇傾向 | シャント血流によるCO2排出障害 |
ここで注意すべきは ETCO2とPaCO2の乖離 である。開胸時はETCO2が低下し、一見過換気のように見える。しかし実際は死腔換気の増大にすぎず、動脈血中のPaCO2はむしろ上昇している可能性がある。ETCO2の数値だけを指標に換気量を減らすと高炭酸ガス血症を助長するため、動脈血液ガス分析による確認が推奨される。
SpO2管理基準とリクルートメントマニューバーの実践
SpO2管理の目安
開胸手術中のSpO2管理においては、AAHA 2020麻酔・モニタリングガイドラインに準拠し、以下の基準で介入する。
- SpO2 95%未満:原因探索(気管チューブ位置・気道閉塞・自発呼吸の確認)を即時開始
- SpO2 90%以下:重篤な低酸素血症として積極介入——FiO2上昇・換気パラメータ再調整・リクルートメントマニューバーを速やかに実施
開胸手術中に一時的なSpO2低下が生じることはあるが、その状態を許容目標として扱ってはならない。開胸下でSpO2 90%以下(PaO2 ≈ 60 mmHg)が持続すると周術期の予後悪化(死亡リスクの上昇)と関連しうる。低下の程度・持続時間・下降速度に応じ、段階的かつ速やかに対応する。
【重要】 開胸手術では動脈圧モニタリングと術中血液ガス測定を必須とする
ASA III 以上の症例、または 1 時間を超える開胸手術では、SpO2・カプノグラフィに加え直接動脈圧モニタリング(侵襲的血圧)と術中血液ガス分析(PaCO2・PaO2・乳酸・電解質)を必須とする。非侵襲的血圧(オシロメトリック)は開胸下で誤差が大きく、致死的低血圧の検出が遅れる。動脈ライン確保、血液ガス分析機器、体温管理(食道温計+強制対流式加温装置)の事前準備をプロトコル化する。
リクルートメントマニューバーの段階的プロトコル
リクルートメントマニューバーは、虚脱した肺胞を再開通させる手技である。開胸手術では段階的なアプローチが推奨される。
| ステップ | PIP(cmH2O) | PEEP(cmH2O) | 備考 |
|---|---|---|---|
| Step 1 | 25 | 10 | まず軽度のリクルートメントを試みる |
| Step 2 | 35 | 10 | Step 1で改善不十分な場合 |
| Step 3 | 35 | 10 | 最大限のリクルートメント |
各ステップでSpO2の改善を確認しながら段階的に圧を上げる。過度な圧は循環抑制(静脈還流の低下)や気胸のリスクとなるため、必要最小限の圧で効果を得る。
開胸中の健側肺に対するRPaw 35 cmH2Oは犬の研究で検証された最大圧であり、15 cmH2Oで同等の肺再膨張効果が得られる可能性が犬の換気研究で報告されている。PIP 40 cmH2Oは犬の前向き研究で検証されておらず、バロトラウマ・換気誘発性肺損傷のリスクを高めるため定型ステップとしては用いない。40 cmH2Oが必要となる臨床状況では、専門医の判断のもとで個別対応する。
PEEP戦略
開胸中のPEEP管理では、術者の視野確保と呼吸管理のバランスを取る。
- 初期設定:3〜5 cmH2Oから開始(術野への影響を最小限に抑えるため、段階的に導入する)
- ドライビングプレッシャー:10 cmH2O以内を維持する
- PEEPの上昇は術者とのコミュニケーションを取りながら行うことが望ましい
ドライビングプレッシャー(吸気プラトー圧 − PEEP)10 cmH2O以内という目安は、人医学の肺保護換気戦略(Amato et al., NEJM 2015)からの外挿であり、犬で確立された閾値ではない。ただし犬の保護換気研究での実測中央値(9〜11 cmH2O)と概ね一致するため、参考値として示す。この範囲を意識すれば、肺損傷リスクを抑えつつ適切な換気を確保できる可能性がある。
麻酔プロトコルと術後管理
推奨される麻酔プロトコル
開胸手術における麻酔プロトコルの一例を以下に示す。
| 薬剤 | 役割 | 特記事項 |
|---|---|---|
| レミフェンタニル | 術中鎮痛(持続注入) | 超短時間作用型、術中の調節性に優れる |
| デクスメデトミジン | 鎮静補助・鎮痛補助 | 交感神経抑制作用、MAC低減効果 |
| プロポフォール | 鎮静・麻酔維持 | TIVA(全静脈麻酔)の主軸 |
具体的な投与レート(CRIレート・維持濃度)は個体差・術式・循環状態により異なるため、ここでは概念的な組み合わせにとどめ、実際の用量設定は専門医の判断に基づく。デクスメデトミジンは心拍数低下・末梢血管収縮といった心血管抑制作用を持つため、開胸手術のような高侵襲術式では心拍数・血圧変動のモニタリングが必要である。
この組み合わせにより、吸入麻酔薬に依存しない全静脈麻酔(TIVA)が可能になる。TIVAが選好される理由は、術中の血行動態調節性の高さ、麻酔深度の調整容易性、propofol-remifentanilによる術後疼痛スコアの優位性にある。一部の術式・換気方式では術側肺への吸入麻酔薬の分布が制限されるため、TIVAが選好される場合もある。
術後管理のポイント
術後管理は抜管判断とドレーン管理の2本柱である。
抜管に向けたFiO2管理:
- FiO2を段階的に低下させる(1.0、0.8、0.6、0.4 の順)
- 各段階でSpO2と動脈血液ガスを確認する
- PF比(PaO2 / FiO2) を算出し、抜管の可否を判断する際の参考とする
- PF比 > 200:抜管を検討可能
- PF比 < 200:抜管は慎重に判断する
- ※PF比 > 200は人医学に由来する参考値(ARDS重症度分類の閾値)であり、獣医領域での抜管閾値としての検証は限られる(エビデンスレベル:専門家コンセンサス/間接的外挿)。抜管判断はPF比のみに依らず、自発呼吸の回復・咽頭嚥下反射の存在・適切な筋緊張・正常体温・カプノグラフィの安定といった多因子で総合的に評価することが推奨される。
ドレーン管理:
- 胸腔ドレーンの吸引圧は -10〜-20 cmH2O の低圧システムが推奨される
- 過度な陰圧は再膨張性肺水腫のリスクとなるため注意が必要である
- 長期間肺虚脱が存在した症例では、段階的ドレナージ(急速な再膨張を避ける)が再膨張性肺水腫の予防に有効とされる(ヒトのエビデンスからの外挿)。獣医領域における胸腔ドレーン管理に固有のエビデンスは乏しい。
術後鎮痛
術後鎮痛には パラバーテブラルブロック(傍脊椎神経ブロック) が有効である。肋間神経を含む脊髄神経をブロックすることで開胸創からの侵害刺激を効果的に遮断でき、全身性オピオイドの使用量削減にも寄与する。
まとめ
- 開胸時の病態理解が基本:陰圧解除によって肺が虚脱し、VQミスマッチを経て低酸素血症に至るという一連の流れを把握する
- ETCO2の見かけ上の低下に惑わされない:PaCO2との乖離を常に意識し、可能な限り血液ガス分析で確認する
- SpO2管理はAAHA 2020準拠で:SpO2 95%未満で即時原因探索、90%以下(PaO2 ≈ 60 mmHg)は重篤な低酸素血症として速やかに積極介入(FiO2上昇・換気再調整・リクルートメントマニューバー)。90%以下を許容目標としない
- PEEP戦略は術者と協調する:3〜5 cmH2Oから開始し、ドライビングプレッシャー10以内を目安に維持する(人医からの外挿で、犬で確立した閾値ではない)
- 術後はPF比で抜管判断の補助に:FiO2を段階的に低下させ、PF比200以上を抜管目安の一つとする(PF比200は人医ARDS分類由来の参考値で、犬での抜管閾値エビデンスは限定的。自発呼吸・嚥下反射・体温・カプノグラフ等と併せて総合判断する)
PetNap Academyで獣医麻酔を体系的に学びませんか? → 無料で学習を始める → 法人向けサービスはこちら
🩺 このテーマについて、臨床での実体験を交えた記事もあります。 → noteで臨床エピソードを読む